正しいか否かより
2011/01/10 02:39:21
最近たまーにといっても2回くらいしか見ていませんが
N○Kの大学の講義?のようなものをたまたま見ました。
今回はそれについて
N○Kの大学の講義?のようなものをたまたま見ました。
今回はそれについて
今回見たのは、アメリカが核を使ったのは正しかったか否かって内容だった。
アメリカの言い分としては、本土上陸作戦で死ぬ人数より原爆で死ぬ人数が
少ないから結果として、自国民を守るためには正しいというような結論らしい。
これについて議論をしていた。
結論から言ってしまうと、私自身はどちらかを選べといわれれば正しいと思う。
あれはそうするしかなかったんだと思うよ。
結果として終戦になったし、あれにより核の脅威が世界中に知れ渡ったんだからね。
ただ、核によって犠牲になった人を含め関係者は納得できないだろうけどね。
んで、議論を聞いていて思ったこと。
みんな、肯定や否定を様々な視点等から議論していたが、ほぼ共通することがあった。
これは戦争とかでよく出る言葉で、みんなそれを主軸として話をしてたと思う。
でもね、私としてはそれほどインチキな言葉もないと思ってしまうんだなぁ。
何かといえば、”正義”って言葉なんですよね。
みんな、正義に反するとか何かとね、戦争とかが絡むと”正義”って言葉を使いたがるように感じる。
それが、どうにもこうにも納得いかない。
いつもね、”正義”って言葉を聞くと、最初に頭には正義の定義は何?って浮かんでしまうんですよね。私は。
だってさ、正義ってことは悪があるわけでしょ?
悪って何?特に戦争において・・・。
人を殺すこと自体が悪なら、戦争に正義もへったくれもない。
罪のない人が犠牲になるから、それを防ぐために正義の戦いと理由もあるだろう。
否定はしないけど、それは結局犠牲者が出ることにはかわりないよね?
もしかしたら、大義はあるかもしれないがそれはどちらにもいえることで、
結局は勝利国が正になってしまうでしょ?
勝てば官軍、負ければ賊軍とはよく言ったものだと思うのですよねー。
あと、命の犠牲に大きさも人数も関係ないって話もよく出てくる。
今回の核の話でも、それを挙げた人がいたけどそれも変な気がする。
大きさも人数も関係ないなら、戦争自体が正しくないとならないかと思う。
そもそも、それは理想論であり倫理的な問題であるだけ。
例えばですが、100人と1人の命を天秤にかけてどちらか一方を助けるって
選択肢があったとしたら、どちらを助けるだろう?
私なら断然100人を助けるよ・・・と言いたいけどケースバイケースで変わると思う。
全員他人なら、100人だけど1人は家族や友人といった大切な人なら100人を
犠牲にすると思うし、結局は自分の有益を考えると思うんだ。
もちろん、中には有益を考えない人もいるとは思うけどね。
つまり、人によって命の重さって変化すると思うんだ。
別の視点で、学校で授業を受けているとして1人だけ理解が遅い子がいる。
そのとき、1人をおいていくのかそれとも、1人に合わせたペースで授業をするのか?
これも、先ほどの選択と同じだと思う。
で、どっちを選ぶかといえば大半はおいていくことを選択するんじゃないかな?
自分がその場にいて、1人遅れている子がいたとして授業が進まなかったら困るから。
もちろん、中には遅れた子に合わせようという人もいると思う。
いーや!!それとこれとは違うね!!!って思う人もいるかもしれないが、
選択するものが命から知識とかに変わっただけ。
命と知識じゃー別だろうなんて思う人もいるだろうけど、それこそおかしいじゃないか。
命とそうでないもの。
例えば権利とかそういったものに優劣をつけるって時点で、命に優劣をつけることと
なんら変わりもないだろうし、きっとそういう人は命にも優劣をつけるよ。
だって、普段から優劣をつけているんだからね。
なんてことを言うと、素直じゃないとか屁理屈だとか言われるですかね。
でも、人は結局のところ選択を迫られると答えは分かれるんですよ。
そして、選択した人は悩みながらも正しいと思うことを選ぶわけでしょ。
なら、それはある意味じゃ正義と同等じゃないかと。
つまり、正義なんてものは玉虫色のようなもので、ある一定の人がごまかすための理由で
便利な言葉として使っているだけにしか見えないわけですよ。
正義なんて言葉は普遍的な真理だとかそういったものと同様に明らかに何かをごまかしたり
自分に言い聞かせたりする、ある意味ではまやかしのような都合のいい言葉にしか聞こえない。
だから、最初に戻るけど正義とかを持ち出して議論していること自体が私にはどうしても変に思える。
そもそも、正しいか否かは問題じゃない。
日本は戦争をしていて、アメリカも戦争をしていた。
もっといえば、世界が戦争をしていたわけだ。
で、しぶとい日本にイラっとしたアメリカが核を使って、その脅威と被害に日本は降伏して終戦となった。
ただそれだけの話だと思うんだ。そこで、その話はおしまいなんだよ。
子供の喧嘩とか大人になってもそうだけど、喧嘩して引くに引けない状態になり
意地を張ってお互いに謝らないまま険悪な状態になるのと一緒。
ただそれが、国対国どうしだから余計に引くに引けなくなったんだと思う。
だから、正しいとか正しくないとかは議論しても意味がないと思う。
私が思うに、大事なのは核の脅威を日本とアメリカが一番知っている。
そして、世界も少なからず脅威を知った。
だからこそ、未来って言うとインチキくさいけどこの先、同じことが起こらないように
日本、アメリカが主導でリーダシップをとっていけばよかっただけだと思う。
あとは、私自身も直接ではないから知らないけど核の脅威を日本アメリカは語りついで
いくことが必要なんだと思うよ。
人間の記憶は月日が経つにつれて、どんどん感じ方が変わってくるからね。
あれ?でも同じことが起こらないようにってことは・・・
核はやっぱり正しくないって思っているのか?
って、思ったけど同じようなとは悲劇や戦争であって核ではないかな。
なーんて、核に対して語ると遺族やその当事者からはきっと怒られるんだろうな・・・。
アメリカの言い分としては、本土上陸作戦で死ぬ人数より原爆で死ぬ人数が
少ないから結果として、自国民を守るためには正しいというような結論らしい。
これについて議論をしていた。
結論から言ってしまうと、私自身はどちらかを選べといわれれば正しいと思う。
あれはそうするしかなかったんだと思うよ。
結果として終戦になったし、あれにより核の脅威が世界中に知れ渡ったんだからね。
ただ、核によって犠牲になった人を含め関係者は納得できないだろうけどね。
んで、議論を聞いていて思ったこと。
みんな、肯定や否定を様々な視点等から議論していたが、ほぼ共通することがあった。
これは戦争とかでよく出る言葉で、みんなそれを主軸として話をしてたと思う。
でもね、私としてはそれほどインチキな言葉もないと思ってしまうんだなぁ。
何かといえば、”正義”って言葉なんですよね。
みんな、正義に反するとか何かとね、戦争とかが絡むと”正義”って言葉を使いたがるように感じる。
それが、どうにもこうにも納得いかない。
いつもね、”正義”って言葉を聞くと、最初に頭には正義の定義は何?って浮かんでしまうんですよね。私は。
だってさ、正義ってことは悪があるわけでしょ?
悪って何?特に戦争において・・・。
人を殺すこと自体が悪なら、戦争に正義もへったくれもない。
罪のない人が犠牲になるから、それを防ぐために正義の戦いと理由もあるだろう。
否定はしないけど、それは結局犠牲者が出ることにはかわりないよね?
もしかしたら、大義はあるかもしれないがそれはどちらにもいえることで、
結局は勝利国が正になってしまうでしょ?
勝てば官軍、負ければ賊軍とはよく言ったものだと思うのですよねー。
あと、命の犠牲に大きさも人数も関係ないって話もよく出てくる。
今回の核の話でも、それを挙げた人がいたけどそれも変な気がする。
大きさも人数も関係ないなら、戦争自体が正しくないとならないかと思う。
そもそも、それは理想論であり倫理的な問題であるだけ。
例えばですが、100人と1人の命を天秤にかけてどちらか一方を助けるって
選択肢があったとしたら、どちらを助けるだろう?
私なら断然100人を助けるよ・・・と言いたいけどケースバイケースで変わると思う。
全員他人なら、100人だけど1人は家族や友人といった大切な人なら100人を
犠牲にすると思うし、結局は自分の有益を考えると思うんだ。
もちろん、中には有益を考えない人もいるとは思うけどね。
つまり、人によって命の重さって変化すると思うんだ。
別の視点で、学校で授業を受けているとして1人だけ理解が遅い子がいる。
そのとき、1人をおいていくのかそれとも、1人に合わせたペースで授業をするのか?
これも、先ほどの選択と同じだと思う。
で、どっちを選ぶかといえば大半はおいていくことを選択するんじゃないかな?
自分がその場にいて、1人遅れている子がいたとして授業が進まなかったら困るから。
もちろん、中には遅れた子に合わせようという人もいると思う。
いーや!!それとこれとは違うね!!!って思う人もいるかもしれないが、
選択するものが命から知識とかに変わっただけ。
命と知識じゃー別だろうなんて思う人もいるだろうけど、それこそおかしいじゃないか。
命とそうでないもの。
例えば権利とかそういったものに優劣をつけるって時点で、命に優劣をつけることと
なんら変わりもないだろうし、きっとそういう人は命にも優劣をつけるよ。
だって、普段から優劣をつけているんだからね。
なんてことを言うと、素直じゃないとか屁理屈だとか言われるですかね。
でも、人は結局のところ選択を迫られると答えは分かれるんですよ。
そして、選択した人は悩みながらも正しいと思うことを選ぶわけでしょ。
なら、それはある意味じゃ正義と同等じゃないかと。
つまり、正義なんてものは玉虫色のようなもので、ある一定の人がごまかすための理由で
便利な言葉として使っているだけにしか見えないわけですよ。
正義なんて言葉は普遍的な真理だとかそういったものと同様に明らかに何かをごまかしたり
自分に言い聞かせたりする、ある意味ではまやかしのような都合のいい言葉にしか聞こえない。
だから、最初に戻るけど正義とかを持ち出して議論していること自体が私にはどうしても変に思える。
そもそも、正しいか否かは問題じゃない。
日本は戦争をしていて、アメリカも戦争をしていた。
もっといえば、世界が戦争をしていたわけだ。
で、しぶとい日本にイラっとしたアメリカが核を使って、その脅威と被害に日本は降伏して終戦となった。
ただそれだけの話だと思うんだ。そこで、その話はおしまいなんだよ。
子供の喧嘩とか大人になってもそうだけど、喧嘩して引くに引けない状態になり
意地を張ってお互いに謝らないまま険悪な状態になるのと一緒。
ただそれが、国対国どうしだから余計に引くに引けなくなったんだと思う。
だから、正しいとか正しくないとかは議論しても意味がないと思う。
私が思うに、大事なのは核の脅威を日本とアメリカが一番知っている。
そして、世界も少なからず脅威を知った。
だからこそ、未来って言うとインチキくさいけどこの先、同じことが起こらないように
日本、アメリカが主導でリーダシップをとっていけばよかっただけだと思う。
あとは、私自身も直接ではないから知らないけど核の脅威を日本アメリカは語りついで
いくことが必要なんだと思うよ。
人間の記憶は月日が経つにつれて、どんどん感じ方が変わってくるからね。
あれ?でも同じことが起こらないようにってことは・・・
核はやっぱり正しくないって思っているのか?
って、思ったけど同じようなとは悲劇や戦争であって核ではないかな。
なーんて、核に対して語ると遺族やその当事者からはきっと怒られるんだろうな・・・。
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